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日本の植物分類学を築いた植物学者・牧野富太郎博士

2016.2.5

テーマ:ろいろいしゆう記牧野富太郎博士

最終更新日:2024年10月29日

#牧野富太郎  #高知県立牧野植物園

牧野富太郎

©高知県立牧野植物園所蔵

 

牧野富太郎は、1862年4月24日、現在の高知県高岡郡佐川町に生まれました。
小学校の授業にはすぐに飽きて2年で中退した富太郎ですが、土佐の豊かな自然に育まれ、幼少より植物に興味を持ち、実家の裏山によく出かけては、植物を採り観察して図に記し、独学で植物の勉強に励んでいたと言われています。

コホロギラン 牧野富太郎

©高知県立牧野植物園所蔵

 

富太郎は、22歳で植物学を志し上京、東京大学の理学部植物学教室で植物分類学の研究に打ち込む機会を得ました。
1887年、25歳の時に友人と「植物学雑誌」を創刊、その翌年、日本の植物誌の第一歩を踏み出すことになる「日本植物志図篇」を刊行し、1889年には、大久保三郎氏と、日本で初めて新種の植物に「ヤマトグサ」という学名をつけ、「植物学雑誌」第3巻第23号で発表します。さらに、世界的珍種の食虫植物「ムジナモ」に花が咲くことを発見した事などから、世界に牧野富太郎の名が知れ渡りました。

牧野富太郎

©高知県立牧野植物園所蔵

その後も、植物の採集や、植物の図や説明をまとめた書物を刊行するなど、日本の植物相の解明を目指した富太郎は、1912年、50歳で東京大学の理科大学講師となり、65歳の時には理学博士の学位を得ます。そして、大学を辞任した後、78歳で研究の集大成「牧野日本植物図鑑」を刊行しました。この本は改訂を重ねながら現在も販売されています。

バイカオウレン 牧野富太郎

©高知県立牧野植物園所蔵

晩年になっても研究意欲がとどまらなかった富太郎は、1957年1月18日、私財を投じて収集した4万5千冊の蔵書に囲まれながら、植物と片時も離れることなく、94年の生涯を終えました。
その生涯において収集した植物の標本はなんと約40万枚命名した新種や新品種の植物は約1500種類以上と言われています。

牧野富太郎 晩年

©高知県立牧野植物園所蔵

そんな富太郎は、土佐人らしい陽気で気さくな人物だったと言われています。生涯借金に悩まされ、何度も家財に差押札を貼られたにもかかわらず、研究や教育のためには平気で高い本を買い、学生にはご馳走を振舞い、自身は高価な服を着てオシャレをし・・・と豪放磊落な逸話には事欠きません。こんなところも、土佐人が彼に魅了され、尊敬を集める要因なのかもしれませんね。

高知県立牧野植物園

©高知県立牧野植物園所蔵

 

富太郎の遺志を受け継ぐ植物園として、高知市五台山にある「高知県立牧野植物園」。
幼少時代に暮らした佐川町の生家の裏山に咲いていたことから、上京後も故郷である土佐を思い起こさせる花として富太郎が特に好み親しんでいたという、「バイカオウレン」が園のロゴマークになっています。
園内には、牧野富太郎記念館があり、富太郎の生涯が分かる常設展示や植物関係の図書を収めた図書室、植物標本室や研究施設、富太郎が収集した蔵書や直筆の原稿、植物図など約58000点を収蔵した牧野文庫もあります。

高知県立牧野植物園

©高知県立牧野植物園所蔵

高知県立牧野植物園

©高知県立牧野植物園所蔵

また、熱帯さながらに緑が生い茂る温室やレストランなども設けられた約6haの広い園地には、富太郎が学名を記載した植物や植物図に描いた植物など、富太郎にゆかりのある植物、約3000種類が四季を彩ります。困窮時代の富太郎を支え続けた壽衛(スエ)夫人の名をとって命名した「スエコザサ」も見逃せませんね。
生涯を植物の研究と教育普及活動に捧げた牧野富太郎に思いを馳せながら、ゆっくり散策してみてはいかがでしょうか?

●高知県立牧野植物園
高知県高知市五台山4200-6 TEL088-882-2601
https://www.makino.or.jp/

 

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