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高知県の観光名所・はりまや橋の恋物語

2017.1.13

テーマ:ろいろいしゆう記

最終更新日:2023年6月30日


高知市の中心部・はりまや橋がある場所は、江戸時代初期、堀川が東西に流れていました。その川を隔てて商売を行っていた豪商・播磨屋(はりまや)櫃屋(ひつや)が、互いの店の往来のために架けた私設の橋が、はりまや橋の起源だといわれています。

幕末も間近い安政元年(1854)頃、五台山竹林寺脇坊の修行僧であった慶全は、母親の手伝いで洗濯物を届けに寺に出入りしていた鋳掛屋(いかけや)の娘・お馬(当時17才)に恋をします。2人は恋仲となりましたが、お馬は次第に若い慶全よりも年上の住職・純信(当時37才)に惹かれてゆきます。

お馬の心を繋ぎとめたい慶全は、はりまや橋のたもとの小間物屋で、お馬のためにかんざしを買います。しかし当時、僧侶の妻帯は禁じられており、恋人にかんざしを買い与えるなど考えられないことであったため、その噂はたちまち町中に広がりました。噂は、お馬に想いを寄せていた純信の耳にも入り、純信は慶全を寺から追放してしまいます。その後、恋敵のいなくなった純信とお馬の逢瀬は日毎に続いたそうです。

これを恨んだ慶全は「かんざしを買ったのは純信だ」と、ふれてまわりました。このことが土佐藩の耳に入り、純信は取り調べを受けて謹慎の身となり、お馬も寺への出入りを禁じられてしまいました。

 

お馬をどうしても忘れられない純信は安政2年(1855)の夜、意を決して密かに寺を抜け出し、稚児姿(ちごすがた)に扮装させたお馬を連れて駆け落ちをします。関所を抜けて讃岐琴平にある旅籠・高知屋に宿泊した2人でしたが、すぐに土佐藩が差し向けた追手に捕まり高知へと連れ戻されます。2人は、高知城下の番所の前で3日間さらしものにされたうえで、純信は国外追放、お馬は安喜川以東へ追放となりました。

・・・二人は引き離され、純信は伊予国宇摩郡川之江(現・四国中央市)に住む川村亀吉の世話で寺子屋の教師となり、お馬は安田村(現・高知県安芸郡安田町)の旅籠で奉公することになります。それでもお馬のことが忘れられない純信は、再びお馬に会いに行き、駆け落ちを試みようとします。しかし今度はお馬が承知せず・・・。結局、捕らえられた純信は再度国外追放、お馬は須崎市の庄屋預りの身となったそうです。後に、純信は中田与吉と名前を変えて結婚し、お馬は庄屋の勧めで土地の大工と結婚。2人とも子どもにも恵まれ、幸せな生涯を送ったといわれています。

時はまさに、幕末の風雲急を告げる頃。そんな時代に、17才の娘と37才の坊さんが駆け落ちし追放されたという話は、たちまち土佐の町で持ち切りとなり、やがて京都や長崎などに進出した若者たちが、「土佐の高知のはりまや橋で、坊さんかんざし買うを見た」と歌ったことから、高知県のよさこい節が流行したんだそうです。

お馬が暮らしたとされる須崎市池ノ内には、お馬を祀った神社・お馬神社があり、縁結びにご利益があるとして親しまれています。

都市計画などにより、何度かはりまや橋は架けかえられ、掘川も埋め立てられましたが、現在は掘川のせせらぎを再現したはりまや橋公園として整備され、純信とお馬のモニュメントや昔のはりまや橋も復元しています。

橋の下は地下道となっており、地下広場には、旧欄干はりまや橋の資料を展示したギャラリーもあり、はりまや橋公園はまちのシンボルにもなっています。
はりまや橋に立ち寄った際は、純信とお馬の恋物語に想いを馳せてみてはいかがでしょうか?

取材協力/高知市観光振興課 https://www.city.kochi.kochi.jp/life/3/

 

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