「逆打ち」でお遍路~衛門三郎伝説~
2016.7.22
テーマ:ろいろいしゆう記
最終更新日:2024年1月15日
弘法大師を追って四国88カ所をめぐり、21週目で逆打ちすることとした衛門三郎の目の前に、ついに弘法大師が現れ・・・・・・・・
「衛門三郎は弘法大師に会って許しを乞おうと、何年もの歳月をかけて遍路の旅を続けてきましたが、用意した金もとうに尽き、阿波の国(徳島県)焼山寺(第12番札所)にたどり着いた時には、病に倒れ歩くことさえできませんでした。死期が迫る衛門三郎の耳に、『三郎、三郎』と呼ぶ声が聞こえました。目を開くとそこには大師が立っていたのです。
強欲非道な自らを省み、泣いて非を詫びる衛門三郎に大師は問いかけます。『この世の果報は既に尽きているが、来世に願うことはあるか』。衛門三郎は『願わくば、故郷伊予国の一族総本家である河野家の世継ぎとして生まれ変わり、人の役に立ちたい。』と申し上げました。大師は道端の小石を拾い、『衛門三郎再来』と書いて左手に握らせると、衛門三郎は眠るように息を引き取ったのでした。
翌年、伊予国の領主、河野息利に長男が生まれました。どうしたことかその子は何日経っても片手を固く握って開きません。そこで河野家の菩提寺である安養寺の僧が祈願をしたところ、どうしても開かなかったその手がようやく開きます。すると、手の中から石が転がり落ち、拾い上げてみると『衛門三郎再来』と書いてあったのでした。」
河野息方と名づけられたその子は、15歳で家督を継ぎ、後に伊予国の領主となってからは、領民を慈しみ善政を施したとされています。
その時の小石は安養寺に納められ「玉の石」と呼ばれ、寺宝として大切に保存されているとされています。この寺が、後に「石手寺」と名付られる第51番札所なのです。
■なぜ衛門三郎はここまでして弘法大師を求めたのか…
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